日本の住宅革命。
「ダイニングキッチン」という言葉が和製英語だったことをご存じでしょうか?日本の公団住宅で初めて導入されたのが昭和32年7月。それはまさに、日本の住宅設計を大きく変える出来事でした。
それまでの台所は・・・
画像の通り、流し・切るところ・煮炊きするところがそれぞれ独立しており、動線がやたら長い。そして何より、調理場として区切られている間取りなので、夫からは妻の姿が見えない・・・
1坪を妻に贈ったおっさんたち。
戦後日本は焼け野原となりましたが、復興のために必要なものは何よりも「住宅」。おっさんたちの戦いが始まりました。
住宅公団のおっさんたちは大蔵省から1坪の増設しか認められなくて、それを妻へと贈りました。台所を広くしたい!なんとも心温まるステキなお話ですね。
ステンレス製のシンク(流し)
いちばん開発に困ったのがステンレスの流し台。これを開発できなければ、狭い公団住宅での夢のキッチンは実現しない。おっさんたちは試行錯誤を重ねました。1ヶ月の試作品は実に400個!
最後の試作品の隅には、とげ抜き地蔵の御札を貼ったそうです。最後は神頼みしかないが、御利益あってかプレスは成功。量産開始。
その一方で・・・
女性の戦いも、もちろんありました。写真は日本初の女性・一級建築士の浜口ミホ。この人がいなければ、南向きの暖かい陽射しが通う日本の台所は生まれなかったでしょう。著書は『日本住宅の封建制』。ちなみにアマゾンでは2万円近くするんで、みなさん国会図書館で読みましょう笑
主婦の料理バトル!!
大事なことは従来の台所と比べて使い勝手がいいかということ。浜口ミホは万全を期して勝負に挑みました。結果は従来27.5歩毎分、ダイニングキッチン2歩毎分。
浜口の勝利で終わり、ダイニングキッチン導入への足がかりとなりました。
顔が見える台所
現在の日本は年間に100万個の住宅が建てられています。もはや戸建てだろうが、団地だろうがダイニングキッチンは家の中心ですね。
ただ、これだけ広くなるとかえって使いにくいのかも。あ、ようは男も料理をしろということか笑
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誰もが一度は気になっている話題ではないでしょうか。たしかによく考えてみると、わからないことだらけですね。なので、まとめてみました。 文責・方山敏彦(ライター)
外部リンク
その後 浜口美穂 建築研究所を設立して、戦後の住宅改善に貢献。特に住宅で裏方に追いやられていた台所を機能的で明るい場所に引き上げた功績で知られる。その思想は1955年発足の日本住宅公団の台所に採用されて販売促進に貢献する。 著書に 『日本 ...
団地 (だんち)は、生活または産業などに必要とされる各種インフラおよび物流の効率化を図るために、住宅もしくは目的・用途が近似する産業などを集中させた一団の区画もしくは地域、またはそこに立地している建物および建造物を指す。 団地 の語源は、「一団 ...
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